2009年11月30日月曜日

「坂の上の雲」第1回

 「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」といかにも司馬の作品だとわかる書き出しに始まる原作の文庫版は全8巻、最終巻に収録されている6つのあとがきの1に「このながい物語は、その日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である。(中略)楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう」とある。昨夜、第1回目を観たが、まさしくそのイメージが保たれていて好感が持てた。
 年内は第2回「青雲」12月6日(日)、第3回「国家鳴動」12月13日(日)、第4回「日清開戦」12月20日(日)、第5回「留学生」12月27日(日)、2010年に4回、2011年に4回、全13回の予定らしいが、果たして最後まで生きていられるか心配になるほどだ。
 話は変わるが、昨日米国に留学して8年目になるH先生が一時帰国し店に寄られた。そろそろ里心がついたのではないかと訊くと「あらたに5年のグラントを得たのでそれまで頑張ります。子どもは米国の大学になりそうです」と学生時代と変わらない笑顔をみせてくれた。そして今朝の地方紙にドクターヘリの松本先生が載っていた。二人とも人一倍努力をしたことは当然だが、自分のやりたいことのリスクを無視して行動した幸福な楽天家ともいえる。なぜか坂の上の雲の登場人物と重なってみえたのである。

2009年11月29日日曜日

27日の写真を修正


 8枚しかないのに9枚のサイズに収めたため余白が出たので4枚x2段に修正した。使用ソフトはPhotoshop、ケータイやデジカメの画像のアスペクト比は4:3が多いので8枚の写真をたとえば8cmx6cmにリサイズする。解像度は印刷する場合は300dpi、HPなどPCの画面で表示するなら72dpiでOK。次にPhotoshopで32cmx12cmのサイズを新規作成し、順番にコピー&ペーストする。番号の文字は新規レイヤーをつくり、その上に書く、これで終了。10分くらいの作業時間で完成する。Photoshopは便利なソフトですが、単体でも9万円以上するので、これくらいの作業なら、PCに付属するソフトや簡易版のPhotoshop Elementsなら14,000円ほどで手に入るので試して下さい。画像を自由に加工できるようになるとPCの楽しみが一段と増すことになりますよ。

2009年11月28日土曜日

「剱岳 撮影の記」公開終了

 26日の晋亮の呟きは「『剱岳 撮影の記』を観て」だったので木村先生もイオンかほくまで足を運ばれたようだ。さすが山岳部出身だけあって記述は詳しく、「丘サーファー」ならぬ「丘山好き男」のわたしはとてもかなわない。今朝新聞の映画欄をみると消えていたので昨日で終了したようだ。2週間の上映だった。富山市ではまだ上映中のようだが、はたして石川県では何人の方がご覧になったのだろうか。興行的に成功したとはとても思えない。
 話は変わるが蕎麦には蕎麦前がつきものなので歩いてフラリとそば屋へいける木村先生の環境が羨ましい。鴨だけで1合はいける「敬蔵」のメニューをみて思った。しかし4合は飲み過ぎという意見もあったが、1回行ってみっこっちゃ。

2009年11月27日金曜日

「敬蔵」11月の蕎麦会席


昨夜は蕎麦会席は初めてというCさんを誘って「敬蔵」へ。昼食を抜いて万全の体制で臨んだ。①旬菜盛合わせ②信州蒸し③そば寿し④きのことそばの実の雑炊⑤そば刺鴨南仕立て⑥変わりそば⑦盛りそば⑧盛りそばお代わり⑨のデザートは撮り忘れた。写真はケータイのカメラなので心配したがまずまずの出来。③と⑤はそば寿しと鴨を食べてしまってから写真を撮ったので各1個少ない。⑥の変わりそばは、盛りそばの出汁に卵黄とヤマトイモを加え、その上にメレンゲを乗せたもの。赤いのはクコの実、黄色は卵黄で、敬蔵では「つけとろ」というそうだ。⑦のそばの白い器は故山英さんの形見とか。普通の方ならこれでお腹がいっぱいになるがワシらはさらに盛りそばを追加、焼きねぎも追加した。これに好みの酒を各々4合ずつ合わせ大満足。蕎麦会席の値段は3,950円で夜のみ、1日2組限り、前日までに予約となってる。
 敬蔵の近くにお住まいの木村先生は1年分すべて試されたそうだ。

2009年11月26日木曜日

「坂の上の雲」

 いよいよ11月29日からNHKスペシャルドラマとして3年間にわたって放送される。司馬遼太郎のこの作品を読んだのは1998年だ。なぜそんなに詳しくいえるのかというと、文藝春秋1998年8月号に「二十世紀図書館」としての特集があり、日本のベスト100のトップになっていたからだ。雑誌は10年以上経って黄色く変色しているが今でも永久保存版として大事にしている。当時、歴史小説はもっと年をとってから読むものだと勝手に考えていたが、1番になっているのに読まないのはシャクだと思って、文庫版全8巻を買ったが、それからあと司馬の作品を読みあさるきっかけになった。
 ちなみにそのときの政・官・財・文化人アンケートの結果、2位以下を挙げると、「善の研究」、「吾輩は猫である」、「文明の生態史観」、「夜明け前」、「『いき』の構造」、「断腸亭日記」、「宮本武蔵」、「風土」となっている。皆さんは何冊読まれただろうか。「善の研究」は学生時代は文庫で、最近、青空文庫でも読んだが理解出来なかった。

2009年11月25日水曜日

「腹つえ〜」

 秋田弁でお腹がいっぱいだという意味だが、学会が2つ続き飲む機会が多く、昨日の昼も腹一杯食ったのでズボンのベルトが苦しい。学会で行動を共にした先生が来られたが、やはり2kg太ったということを聞きなぜかホッとした。わたしは絶対に65kg以上にはしないという固い決意でいるが、自分の体重のコントロールができないような人間は意志薄弱モン扱いされるのでデスクワークが多いとか、勤務時間が長いとか、膝の具合が悪く運動出来ないとかの言い訳で現状を肯定しようということだけは避けたい。ホテルの部屋の姿見で己の腹の大きさに愕然としたことを忘れないようにしよう。

2009年11月24日火曜日

後始末。

 学会での書籍展示はありがたいが、本の後始末が大変だ。郵送する本の梱包、売れた本の確認、返品作業と肉体労働が続く。朝から作業にとりかかっていたが、帰省した先生から「お昼でも一緒にいかが」とお誘いを受け今帰ったばかりで、ようやくMacの前に座った。
 昼は先生のお気に入りの宇ノ気の寿司屋でご馳走になった。ここはネタが大きいので有名な店だが、平日なのに開店と同時にカウンターは満席になり、ここだけは景気と関係ないように見えるが、3千円で腹一杯になることを考えると回る寿司より割安かも知れない。

2009年11月23日月曜日

なにか変。

 昨日は11月22日「いいふーふ」の日、しかも連休の中日ということで、学会会場のホテルは十数組の結婚披露宴があり、人前結婚式とやらで、エスカレーターに乗っていたら横の階段を新婦が1階で待っている新郎のところまで満面の笑みを浮かべながら下りていくところに出くわした。そしてこの学会名は「日本生殖医学会」、3階のロビーは学会に参加して勉強している人たちと、礼服姿で酒で顔が真っ赤になったオヤジや披露宴の余興の練習をしている若者が入り交じるという状態でなにか変
 たった1時間の議論で多数決で決めてしまう「事業仕分け」作業。なにか変。この光景何かと似ていると思っていたら、読売で軍事裁判のようだとの意見、まったく同感。
 高円寺の居酒屋で朝火事、なんとこの店は夕方5時から翌午前10時までの営業とか。出火当時ほぼ満員というところがなにか変

2009年11月22日日曜日

今日、明日学会書籍展示。

 第19回日本メイラード学会が無事終了し、学会ホームページにお礼の言葉を掲載、今日からは第54回日本生殖医学会の書籍展示でANAクラウンプラザホテルだが、わたしは店番の担当になったので、本の搬入だけ手伝いして家に帰ったが、グッスリ寝たおかげで疲れがとれた。やはり我が家が落ち着く。

2009年11月21日土曜日

学会無事終了

 金沢エクセルホテル東急で行われた学会は土曜のランチョンセミナーで無事終了した。金曜日は夜9時まで拘束、終了後6階の部屋に入ると日銀金沢支店を見下ろせた。S支店長がいたときに一度中へ入ったことがあるが、中庭があるつくりになっているのを初めて知った。本部のある部屋からの眺めもよく、最近の学会は音楽堂を中心として駅前のホテルで行われることが多いが、会場から広坂方面の景色をみていると金沢はやはりここが中心だと強く感じた。しかし眠い。

2009年11月20日金曜日

もう1回だけになっていた。

 今朝、新聞の映画欄をみたら「劔岳 撮影の紀」が3回から9:40の1回だけになっていた。よほど入りが悪いのか、しかし富山市ではまだ3回になっているので、場所が悪いのが影響しているのだろうか。わたしもわざわざかほくまでと思ったが、オープンしたばかりなので、キレイだし、シートの幅も広く、高さもあり、前に座高の高いモンがいても気にならない。それに比べるといつも利用しているユナイテッドシネマはシートが狭いし、いかにも古い。しかもとなりのルネスは解体、手前はパチンコ屋になってしまい環境は最悪だ。
 さて今日は学会事務局の仕事でホテルに泊まることになる。金沢にいて市内のホテルに泊まるというのも変だが、夜中まで議論が続く学会のようだ。スタッフは10時集合なので、「卒業」のベンジャミンと同じくmy歯ブラシだけもって出かけることにする。

2009年11月19日木曜日

「空いとったんは平日やさかいやろ」

といわれたが、20・21日は学会事務局の仕事、21日夕方から書籍搬入、22・23日は学会書籍展示と続くので、後始末を入れると29日の日曜まで行けそうもないのでその間に終わってしまう可能性を考えたからだ。ある先生がようやく時間が出来て「カムイ外伝」を観に行ったら終了していたので、仕方なく「ゼロの焦点」を観たが、どうもしっくりこなかったということを聞いたからかも知れない。
 話は変わるが、今年もボジョレー・ヌーボーのニュースが流れたが、50年に一度の出来といわれても飲む気がおこらない。ワインは若いものより絶対に年増がいいからだ。ボジョレーの赤のブドウはガメイ種で色は薄く口当たりの柔らかいワインだが、ベルベットのような舌触り、タンニン臭や妖艶なドドメ色の年増の誘惑にはとても勝てない。年増の誘惑といえば「卒業」のミセス・ロビンソン役のアン・バンクロフトをなぜか思い出してしまうが、あまり深く考えないでいただきたい。

2009年11月18日水曜日

「劔岳 撮影の記」

 15日、富山市在住のS君から「今日、剣岳「撮影の記」を観てきました。上映は今日からで、マイナーな映画(ドキュメンタリー)なので上映は全国で東京二カ所、富山一カ所、石川一カ所の四カ所だけです。石川は、かほくのシネコンでの封切り。個人的には「ノンフィクション好き」なので「点の記」より面白かった」とメールが届いていた。
 さっそく新聞で調べると10月にオープンしたばかりの「シネマサンシャインかほく」一館のみ、しかも一日3回だけの上映となっていたので、昨日仕事の合間にでかけた。16:10の入場だったが、312席あるのに5人だけ、それもわたしを含め60歳以上で1000円で入場できるオヤジだけだった。あらすじは撮影日数200日を超えた立山、剣岳でのドキュメントで、監督の木村大作のインタビューが中心だが、厳しい自然相手の撮影なので最後まで撮りきることが出来るかどうか心配だったので、万一映画が完成しなくても記録だけは残しておこうという意図があったのだろうか。普通の撮影なら各シーンのカットごとに撮りあとから編集するが、山に関する限りは順撮り(したがって登頂は最後になるので、9時間歩いて撮影現場に行き、天候不順でそのまま9時間かけて小屋へ帰る様子や鎖場を何度も往復する場面や、5人の山岳ガイドが付き添っていたが心配していた落石で重傷者がでてしまったので、一旦全員東京へ帰したこともあったようだ。
 「劔岳 点の記」を観たかたには必見の作品だが、この来場者数を考えたら、長く上映されることはないだろうから早く行かれたほうがいいと思う。

2009年11月17日火曜日

ネットの功罪

 今とりかかっているエッセイの校正のなかにジャズの英語の歌詞があり、それが正しいかどうかネットで検索してみた。ある程度有名な曲なので何件もヒットした。これは楽勝と思ったが5つ検索した結果、どれも微妙に違い頭を悩ませた。明らかに意味が違う単語を使った2つを除いたが決め手にはならなかった。ふと考えた。この歌手はわたしのiTunesにあるのでひょっとしてとチェックしてみると、全42曲中、38曲目にあった。この曲の歌詞はエッセイの著者が40数年ぶりに留学された地へ再訪されたイントロに引用されるので重要なポイントになる。3つの英語の歌詞をワードに並べて何回か聴いてみた。正解が判明した。
 ネット上には他人のデータをコピー&ペーストして引用し、原典にあたらないケースが結構あり、真実にたどり着くのに苦労させられることが度々ある。ウィキペディアの情報もそのまま鵜呑みにするのは注意が必要だ。

2009年11月16日月曜日

学会抄録集ができあがり、

これから発送作業に入る。学会は1年前から開催が決定しているので、準備の時間があるようにみえるが、実際はあっというまに時が過ぎていく。幸いに今回は去年の国際学会と同じ先生が会長なので、阿吽の呼吸で作業が進行した。あとは本番を待つばかりとなった。

2009年11月15日日曜日

丸岡蕎麦道場 秋の巻

春、コシアブラの季節と秋の新そばの2回お邪魔するが、毎回人気があり今回の参加人数は30人。今年は北海道も丸岡も不作で価格が高騰しているらしいが、いまや全国ブランドになった丸岡在来種の玄蕎麦、しかも生産者自らが自家製粉し、打った蕎麦が食べられるのは探蕎会に入っていて良かったと思う最大の理由かも知れない。しかもそば打ちを商売でやっているわけではないので行けば食べられるわけでもない。お酒はいつもの「鄙願」を持参し、茶わん酒を酌み交わす。口福の時間を愉しませていただいた。

2009年11月14日土曜日

「明日は雨やな」

と木村先生から電話。第5回白山・手取川もみじウオークの話だ。朝、目が覚めるとかなりの雨、この雨でも出かけたのだろうか。そういえば最初に一緒に参加した第2回も同じような雨だった。わたしはゴアテックスのレインウエアにシューズもゴアで参加したが、時速にすると5km以上で歩くので20km歩き終わって足の裏をみると、半分ほど水ぶくれになっていた。破れたら歩くことはできなかっただろう。今日の市ノ瀬コース22kmの受付は9時で終了していてスタートは10時。今はスタート地点までバスで移動中だろう。前回はノースフェースの黄色のレインウエアに奥様のバラの花の模様の傘をさして歩いておられたが、先生の風貌をご存知のかたはいかにミスマッチな格好か想像できると思う。ともあれ無事に完歩されることを願う。

2009年11月13日金曜日

六文銭

上田城で真田の六文銭の兜を被りふざけているところだが、T君は最近ヒゲをのばしはじめたので結構似合っていた。目隠しをしても誰かわかるので意味はないが、右のオヤジの衣裳は子ども用だった。
 私たちの年代は六文銭ときくと小室等の音楽ユニットを思い出すかたも多いだろうが、真田とはまったく関係なく、ウィキペディアによれば、小室等が「月と六ペンス」の「六ペンス」を「六文銭」と訳したとしている。また、とある居酒屋の名前からとったとも言っている。メンバーに長野出身の上條恒彦がいたが、関係はなかったようだ。従って本来の意味の仏式葬儀の際、遺体に添える紙。一文銭が六つ描かれており、三途の川の渡し賃とも関係がない。
 昨日の「母の座像」と今日の写真はクリックすると大きくなるが、昨日はともかく、これはお勧めしないのでクリックしてもあまり大きくならないようにした。

2009年11月12日木曜日

「母の座像」無言館

「無言館」ではもう一度みたい作品があった。大正2年弘前生まれ、東京美術学校図案科卒の千葉四郎さんの小さな陶像「母の座像」だ。前回訪れる前に無言館の画文集で予備知識を得ていたが、最初見たときはあまりの小ささに驚いた。今回もう一度じっくりと鑑賞しようと思っていたが、例の団体客の騒々しさで、ガラスケースにあったはずの作品を確認できないまま外に出てしまった。
 彼は青森第五連隊に入営、満州林口で終戦をむかえたが、延吉へ移動後、消息を絶った。戦死公報によれば享年は31歳。出征した息子の部屋をそのままにして待ちわびた両親も亡くなったが、ご遺族はまだ四郎さんの戦死を信じていない。(画集より)

2009年11月11日水曜日

雨でも暑い

 今朝も雨の中歩いて出勤した。シャツとベストだけなのに店に着くと汗ばんだ。またもウチワの世話になる。
 来週末の学会の抄録は今日中に印刷に回さなければならないが、かなり英作文に問題がある演題が発見され、書き直す必要が出てきた。果たして間に合うだろうか。
 なんとか間に合い(といってもわたしが直したわけではないが)、夕方、原稿を印刷に回した、やれやれ。

2009年11月10日火曜日

暑い

 日曜日の信州は11月というのに暑く、空気がよどんでいるせいか山はどれもかすんでいたので絵にならず「無言館」の後に聳える浅間山を撮る予定も中止となった。
 昨日今日と歩いて出勤しているが暑さで汗ばみ、片付けてしまった氷室饅頭のウチワをまた出してくる始末。これから夏に向かうような錯覚を覚えるほどだ。
 次の日曜日は丸岡蕎麦道場行きだが、33名の参加者なので配車の予定で頭を悩ます。今回はアッシー君の役割から逃れるのは不可能のようだが、なんとか工夫をして「鄙願」にありつきたいものだ。

2009年11月9日月曜日

二つの美術館

東御梅野記念絵画館「犬塚勉展」、戦没画学生慰霊美術館「無言館」=写真左上=を巡った。両方とも小高い丘の上に建ち、落ち葉を踏みしめてエントランスに到着する仕掛けになっている。「犬塚勉展」は15日までなので大勢の人が訪れていた。 TVで何度もアンコールされた「日曜美術館」の影響は大きい。 アクリル絵具をつかった数十点の絵画の他に傷だらけになった愛用のカメラ(ニコン)、登山靴、アイゼンなども展示されていた。
 「無言館」はわたしは3回目、作品とその作者が何歳でどこで戦死したか書かれているものを読んで鑑賞するため、静かでシ〜ンとした雰囲気が特徴だが、今回は団体客が入っていて、騒がしく耐えきれずにすぐに出た。犬塚勉は38歳、画学生の大半は20代で戦死しているが、若さが満ちあふれ、死をまったく意識していない作品が感動をさらに深めた。

2009年11月8日日曜日

8時から22時まで、高校の修学旅行のようだった。

信州行きはY君も加わって5人、11時前に上田市の「そばの花」へ一番乗り。酒(佐久の花)、そばがき、もりそばを注文。そば粉は北海道産の新そばと、信州産をブレンド、信州は20日過ぎにならないと新そばが出回らないとか。もりそばは、田舎、粗挽きが全盛の昨今、端正な細打ち、出汁は小豆島産の有機丸大豆醤油を使っているそうだ。われわれと同年代の夫婦で営んでいらっしゃる。里山に囲まれたログハウス風の建物は落ち着けた。腹ごなしに上田城を一周してから、東御梅野記念絵画館で「犬塚勉展」=ロビーからの景色=、さらに上田市へ戻り「無言館」、「鹿教湯温泉」で一風呂浴び、松本市の54年続いているという洋食屋「どんぐり」で夕食。若者向けのすごい量だったので、互いに体のことを気にしながらも完食。どこへ行っても金沢弁炸裂、やかましいジジイどもの珍道中だった。

2009年11月7日土曜日

朝、畑へ。

この季節、畑は週一回でOK。カブ、ダイコンは一週間でずいぶん大きくなる。ダイコンは土からでている部分が緑っぽくなるが、カブは真っ白のままなのが不思議だ。ピーマンもまだ収穫できる。今月いっぱいで畑作業は終了となるが、今年も野菜たちの生命力に感動しっぱなしだった。
 話は変わるが、出版社からすき間ゼロ、360°完全密着のマスクが送られてきた。かなり厚みがあるが米国国立労働安全衛生研究所認定だそうでウイルス補集能力はFDA認定の検査機関でチェックしたところ99.9%以上カットするという。ほんまかいな。試しに付けたらこうなった。まんでアヒルや。
 しかし大問題があった。昼飯を食うときに外そうとしたがこれが結構力がいる。ツラの皮をマスクの粘着テープに持って行かれそうになり、そうなると当然痛い。しかも食べ終わってふたたび装着すると今度はユルイ。この中間だとちょうどいいのだが。このマスクは一旦装着すると飲み食いは不可、外出にはかなり勇気を必要とする。

2009年11月6日金曜日

4日間デスクワークなので、

今朝体重を計ってみると前回の11月1日より1kgも増えてしまった。iPod touchは体重のデータをすぐにグラフ表示できるのでピーンと跳ね上がってしまった、ヤバイ。抄録は遅れていた演題もすべて揃い、最終校正に入る準備ができた。この学会はホテルに泊まり込みで夜中まで議論するらしいので部屋割りの仕事もある。事務局のわたしも泊まれということになってしまった。懇親会は飲み放題なのでこれだけが楽しみだ。

2009年11月5日木曜日

一日中ディスプレイの前。

 昨日は学会抄録作成でMacに向かいっぱなし。8時半に帰宅し、酒を飲んで入浴しすぐに就寝。疲れには睡眠が一番。その睡眠導入剤としてお酒がよく効く。おかげで今朝はスッキリ目覚めた。
 ストレス解消も兼ねて山登りをしているH先生の白山山頂の写真が朝刊に載っていたので、かれのHPをチェックするとスキーを担いで冬山フル装備おまけに兼用靴だったようだ。まったく雪不足で初滑りは不可能だったようだが、これからの白山の様子はかれの写真で楽しませてもらう季節になった。HPはこちら

2009年11月4日水曜日

月曜日のような水曜日

 昨日、A君、T君来店、8日(日)に東御市梅野記念絵画館「犬塚勉展」へ行くことが決定、M君も行く。コースは任されたので探蕎会のそば通、久保さんのお薦め、上田市の「そばの花」で腹ごしらえをしてから絵画鑑賞、さらに上田なら3度目となる戦没画学生慰霊美術館「無言館」も候補に入る。帰りは草津へ寄るか、別所温泉、鹿教湯へいくか当日の天気次第ということになった。運転手は酒を飲まないA君とM君になるから、T君とわたしは気兼ねなしに酒を楽しめる。
 ということでそれまでに学会の抄録を完成させるため、今日からガッパになって仕事のピッチを上げなければならない。

2009年11月3日火曜日

日曜日のような火曜日

 21・22日に開催される学会の事務局をしているが、今日は朝から応募演題の分類などのプログラム作成を2人の世話人の先生との協議がさきほど終了し、ようやくブログを書く時間ができた。事務局の仕事も3回目なので精神的にゆとりができドタバタすることはない(と思う)。これから抄録作成作業に入る。
 話は変わるが昨夜のNHKスペシャル「永田町・権力の興亡2、政権死守・自民の多数派工作政治の漂流」は見応えがあった。あの内容でよく当事者本人がインタビューに答えたものだと思う。今夜も続きがあるので楽しみだ。

2009年11月2日月曜日

ふたたびSnow Leopardに

 発売と同時にOSをSnow Leopardにアップしたがプリンタドライバが対応せず、元のLeopardに戻したことは前に書いたが、Epsonのレーザープリンタがようやく対応となったので、Snow Leopardを再インストールした。USB接続のプリンタはどれも対応するようだが、ネットワークプリンタの場合は問題があるようだ。Canonのレーザープリンタはまだ未対応なので、MacでDTPの仕事をする場合はEpsonのPSプリンタとなる。今のところトラブルなしだが、今後どうなるかわからない。

2009年11月1日日曜日

「ガン日記」中野孝次著(文春文庫)

氏はドイツ文学者で「清貧の思想」「ハラスのいた日々」などの著者。手術不可能の食道癌と診断され、余命1年と宣告されたが、「運命は、誰かに起ることは汝にも起るものと覚悟しおくべし」と研究しているセネカの言葉で死に対する心構えを学んでいたため平静に受け止められた。とさすが学者と思われたが、苦しい抗がん剤治療を受けるか、自宅で静かな死を選ぶべきか何度も迷い、結局奥様の負担を考慮し入院するまでの日記で副題は「2004年2月8日ヨリ3月18日入院マデ」。没後1年の追悼展のための資料を整理していたときに発見されたもの。
 先の戸塚洋二氏(66歳没)はブログで、79歳の中野氏は78枚の和紙に書き綴った。これは闘病記ではないが、がん告知の問題、高齢者への大病院の治療方針など、生と死を画一的にとらえる医療に対して、いかに自身の生命を全うしようと努力するものとの間の溝は深いままだ。同年7月16日死去。